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じゃポルスカ楽描帳

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2017年 08月 09日

ポーランドに関する本を読む 17

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伊丹敬之氏著”ポーランドからの手紙;1989”読了しました。
こちらは一橋大学商学部教授が、1989年のポーランドに1週間ほど滞在した際に、
色々な組織に属するポーランド人に接触した体験談を掲載したレポートです。


1989年のポーランドといえば、共産党支配から脱出し民主化の道を歩み出し、
計画経済システムから市場経済システムへと移行したちょうど転換期に当たり、
人々が経済的にも心理的にも大きく変化した、ある意味激動の年だったそうです。


社会の仕組みや経済が根底から混ぜ返され始め、
共産主義から資本主義への”ビックジャンプ”が求められた時代のポーランドで、
作者の伊丹氏は、1週間のポーランド滞在の中で出会った、
”変化に積極的に対応していこうという若い人々”と、
”変化に戸惑いを見せ既存恩恵に未練を残す年配の人々”に対し、
「この質問をすると場の空気が一変するだろうな」という事を重々分かっていながらも、
両グループに対してかなり核心を突いた質問を投げかけていきます。


それらに対するポーランド側の反応や答えがすごく興味深く、
また文面からも伺える伊丹氏の少年のような率直さに、
まるで適温のミネラルウォーターを飲むかのようにすらすら読み進める事ができました。
およそ30年ほど前に書かれた内容ですが、ちっとも古臭さはなく、
今現在の私にも考えさせられるような”実質”を突いた内容で大変よかったです。


すごく印象に残っているのは、伊丹氏がポーランド滞在時に目にした、
デパートでのポーランド女性によるウォッカの大量買いの場面です。
その女性は月収の2倍の金額を使ってウォッカを20本程購入していたそうです。
なぜ彼女がそんなにもウォッカを買っていたかというと、
このウォッカは自宅で飲むためのものではなく、
”価値保存の手段”として買われていたのだとか。


当時のポーランドでは異常な位にインフレが激しく、
人々は信用できない自国の通貨・ズロチを、そのまま現金として貯金することはせず、
後日少しでも価値が上がるようなものに変えるのに必死だったとのことで、
その中でも不思議な事に、戦後一貫して、ウォッカだけはインフレ抵抗力があり、
常にウォッカ1瓶が約1ドル相当の値段をコンスタントに維持してきたそうです。


この時代、物と自由に溢れる日本という国に生まれた私は16歳。
ささやかな金額ながらも、対外通貨価値が高くそして安定している日本円を使い、
楽しくそして能天気な高校生活を送ってきた事を思いだしてみると、
地球の反対側でこんな事が起こっていようとは、
その当時は少しも想像すらできませんでしたし、
この先もよっぽどの事が起こらない限り、
実感して深く理解するといったことはできないかもしれません。
(不謹慎ですが今ある自分の状況に感謝をせずにはいられません。)


しかし、国中の人々が安心して暮らせる安定した社会とは何か、
そして、お金とは一体何か、また、人間の本当の幸せとは何か、
そういったことを一旦立ち止まって考えさせてくれるような、
私にとっては大変貴重な1冊でした。この本に出会えた事に感謝です。


最後にこの作者は、今回ポーランドで出会った人に長い手紙を書いているのですが、
この手紙が作者の心から書かれたもので、私はその内容を読んで涙が出ました(T_T)。
内容的にはウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏の言葉に負けないものだと思いました。


# by japolska | 2017-08-09 09:14 | Wonderful Books
2017年 08月 08日

我が家の裏庭に来るウサギ(アメリカ・ケンタッキー州ルイビル)

我が家の裏庭に来るウサギ(アメリカ・ケンタッキー州ルイビル)_e0070787_00371784.jpg



我が家の裏庭に来るウサギたちです。



我が家の裏庭は、住んでいる私達が大変ズボラなため、
芝生より雑草の量の方がはるかに多いので、←雑草が枯れると緑が無くなるので怖くて除草剤が撒けないレベル
ウサギたちの格好の餌場となっているのですが、



いらっしゃるウサギのお客様の数は年々増える一方です(T_T)!!!





ちなみに彼らの存在を無視して、芝刈り機で裏庭を手入れすると、
いらっしゃったウサギの団体様から、




「なんて事をしてくれるんだ・・・。」




的な冷たい視線で見られることうけあいです(苦笑)。




でもまあ可愛いいからいいか~♪




なにはともあれ、いつか芝生を敷きなおし、
除草剤が撒ける日がくるといいですね・・・(遠い目)。←色々人間として失格です。




# by japolska | 2017-08-08 09:36 | アメリカ
2017年 08月 07日

底値激安!卵Mサイズ(@$0.59)10ダース購入!消費方法その1

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スーパーへ立ち寄ったら、Mサイズの卵のパック(1箱12個入り)が、
私が今まで経験した中では最安値の@$0.59で売られていたので、
思わず売り場にあった全てのパックを購入してしまいました。
※消費期限が5日後に迫っていたための半見切り品としての値引きだった模様。




えー、相も変わらず、




「好みの食材が底値だと、店頭ある分全て購入しないと気が済まない」






という セコい病気 ハンターの習性 は 全く治っておりません で。





ちなみに今回の心の中の葛藤を絵に表わすとこんな感じでした(↓)。




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※ちなみに大抵、というか、殆ど、というか、ほぼ99%の確率で、
今のところ本能のド圧勝となっております。




はいそれでは気を取り直して、この合計120個の卵を、
我が家ではどのようにして消費していく予定か、
週末の私の卵との格闘ぶりと共に紹介させて頂きたいと思います。



底値激安!卵Mサイズ(@$0.59)10ダース購入!消費方法その1_e0070787_00011073.jpg



卵120個中、9ダースに相当する108個分は、
出汁巻き卵と薄焼き卵をに変身させました。
これは両方とも、上記写真のように小分けに作ってから、
それぞれラップにくるんで冷凍保存しておきます。



丸い形の出汁巻き卵は、大体1本で卵7個分くらいなので、
これを平日の5日間で、夕飯時に2人で少しづつ消費していけば、
1人平均@3.5個の消費になるので、これだと卵の取りすぎにはならないかな、と思っています。



薄焼き卵は、例えば、なんちゃってちらし寿司などを作った時に、
錦糸卵としてお寿司本体の上に細切りにして散らすと綺麗ですし、
ごはんにケチャップを合えて皿に盛り、その上に薄焼き卵を載せれば、
小さな簡易オムライスにもなるので結構便利です。



余談ですが一番最初の卵のパックの写真を撮ったのは、日曜日の朝の4時←行楽弁当でも作る気ですか?
そして全ての厚焼き卵と薄焼き卵を作り終えたのは、同日曜日の午前10時半でした。



あともう1パックの卵の消費ノルマが残っておりますが、
それはまた次回に紹介させて頂きます。


# by japolska | 2017-08-07 09:32 | 海外和食事情
2017年 08月 05日

アメリカで三升漬けを作る ”神7”スペシャルエディション!悲しい失敗編

アメリカで三升漬けを作る ”神7”スペシャルエディション!悲しい失敗編_e0070787_02543113.jpg




先日こちらで(↓)



アメリカで三升漬けを作る ”神7”スペシャルエディション!
http://japolska.exblog.jp/25953427/



7種類の唐辛子を使用し、乾燥米麹と醤油を使って、
アメリカで三升漬けを仕込んでみた事を書かせて頂きました。



本日はその”三升漬け ”神7”スペシャルエディション”の、
仕込んだ3つのガラス瓶を開けて起きた悲しい失敗談をさせて頂こうと思います。




実は上記リンクに掲載した3つのガラス瓶に仕込んだ今回の三升漬けですが、




すべて失敗に終わりました(号泣)!!!




どうやら使用したガラス瓶の消毒が足りなかったらしく、
蓋を開けた段階で上の方に白いふわふわしたものが発生していて酵母かカビのどちらか)
恐る恐るそれを取り除き、下にあった三升漬け本体を出してみたところ、
唐辛子部分がうすーい飴色になっていて、一口食べてみると辛さと共に酸っぱさがついていました。
そしてガラス瓶本体に鼻を近づけてみると、かすかながらセメダイン臭が・・・。




「・・・・・・・・・・・・・・。」←無言で何が起こったのか把握するためインターネットでこの状況を検索。





調べてみるとどうやら、酢酸菌 が発生してしまったらしいです。
酢酸菌の発生は、保存場所の保存平均温度が高すぎることが原因らしく、
保存場所の定期的な消毒が必要なのだとか・・・。



さらに調べてみると、やはりどこかで 雑菌 も入ってしまった模様です。
一応用意したガラス瓶は蓋と一緒に全て20分程度ずつ煮沸消毒をし、
また瓶内に雑菌が忍び込まないように、蓋をゆるく締める代わりにラップを載せ、
その上にそれぞれの蓋を重しとして置いておく方法を取ったのですが、
もしかしたら何らかの経路で雑菌が侵入してしまったのかもしれません。
なおかつラップによる蓋が、空気のささやかな循環を無くしてしまったことで、
ガラス瓶内に残っていた雑菌をより繁殖させてしまったと想像します。




一応地下室の冷暗所に保存しておいたのですが、
ひょっとしたら夏という季節柄も影響していたのか、
はたまた丸1ヶ月本当にただ放置をしていたのが却って仇になったのか、
今回は残念ながら全滅という結果になってしまいました・・・(T_T)。




しかしガラス瓶の他にもう1つ、少量ですがビニール袋に入れて、
台所にそのまま放置しておいたものは、
変に発酵も腐敗もせず、きちんと三升漬けとして出来上がっていました。
(※それが先日”実食編”で紹介させて頂いた分です。)



せっかくの日本から持ってきたの乾燥米麹を、
こんな形で全部使い切ってしまったので、
正直、ほぼ壊滅状態を確認してしまった時には、
あまりのショックにそのままベッドに入って寝込んでしまいました(T_T)。




なので今回の経験を生かして、次回三升漬けを作る際は、
以下の教訓をしっかり頭に叩き込んでから取り組みたいと思います。


教訓その1:仕込みは未使用のビニール袋に入れてから容器に保存!
教訓その1:仕込んだブツは未使用のビニール袋に入れてから容器に保存する!
(理由)要消毒のガラス瓶とは違い、
未使用のビニール袋に入れて仕込んだ三升漬けは、
例え日当たりが良く気温が高めの1階の台所に放置していても、
今のところ間違いなく100%無事に完成しているから。


教訓その2:一気にたくさん仕込まない!1ヶ月程度で食べきれる分だけ作る!

(理由)失敗すると全てを失うから(T_T)。
唐辛子はこちらでいつでも購入できるし、無理に沢山作る必要はない。
特に日本から購入してきた乾燥米麹は貴重品なので、それを無駄にしないためにも、
短期間で食べ切れる量を少しづつ作ってリスク回避をする。



教訓その3:厚手のゴム手袋を使用する!

(理由)インターネットで調べてみたら、仕込む際に、
直接素手で原材料に触れることは、雑菌を介入させる可能性もあるためによくないらしい。
なので次回は唐辛子の刺激から手を守る意味も含め、
厚手のゴム手袋を購入してから作業に入るように心がける。




とりあえず今回の件はよい勉強だったと思い、
次回もっと上手に三升漬けを作れるよう、
これからも精進して頑張ります・・・。←まだ微妙に立ち直れてないw。



# by japolska | 2017-08-05 09:27 | 海外和食事情
2017年 08月 04日

北国の人たちに関する本を読む 25

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船曳由美氏著”100年前の女の子”読了しました。


これは
船曳氏の母親である寺崎テイさんという方の、
激動の大正・昭和・平成を生き抜かれた様子を、
娘の
船曳由美氏が聴きがたりとしてまとめた1冊です。


この物語の主人公の寺崎テイさんは、生まれて間もなく実母が出て行き、
彼女の祖父母や父親と一緒に高松村というところで育つのですが、
父親が後妻を迎える際、家督争いの憂き目に合ってしまい、
一度は養女して外に出されてしまいます。


しかしその後事情が変わり、また生まれ育った実家に戻ることに。
継母や血の繋がらない妹達の側で、多少ばかり窮屈な思いをしながらも、
自然溢れる豊かな村で、村に住む様々な人達との交流や、
昔から伝わる季節の行事や習慣等を通じて、
学ぶ事が好きな真っ直ぐな女性へと成長していきます。


彼女は尋常小学校を卒業後、必死に勉強して受験に合格した足利女学校へと進学。
女性に学問なんて不要と言われていた時代に、
学校までの非常に遠い道のりを頑張って通いながらも、
親しい友人に囲まれ、充実した楽しい女学校生活を送ります。


足利女学校を卒業後は、自立の道を模索するために、
わずか16歳という年齢で単身東京へと上京。
決して豊かとはいえない親戚の元で生活しながら、
女学校時代に貯めていた貯金と実家からのわずかな援助を元に、中央工手学校へ入学。
そこで設計図を描く技術を身に付け、就労条件の大変良い土木局で働き始めます。


そして彼女は土木局で働きながらも、
東京で得た収入から貯めたお金を遣い、
女子経済専門学校の夜学で更なる教養と学歴を身につけることを決意。
しばらくは2足の草鞋を履く非常に
忙しい日々を送っていましたが、
ある日土木局からの仕事が無くなり、昼間の時間が空く事に。


計算してみると東京に出てきてから今までに貯めた貯金を投入すれば、
丸1年間は働かなくても通学できる事が判明したので、
彼女はその貯金を全て遣い、東京経済専門学校の昼学のコースに移り、
一流の先生の下で集中して学ぶ道を選びます。


そして
東京経済専門学校卒業後は、東京で更なる自立する道を模索し、
学校側から当時発足したばかりの東京YMCA本部での就職口を斡旋してもらいます。


その後は運命の男性に出会い4人の子供に恵まれるのですが、
太平洋戦争勃発で夫は招集され、彼女とその子供達は高松村へと疎開。
彼女の3人の娘達は自立を希望する女性へと育っていき、
その中の1人の
船曳由美氏がこの本を書き上げる・・・といった感じの内容でした。


感想は、女性というだけで軽視されていた100年前の日本に、
今とは比較にならない程の様々な苦難に翻弄されながらも、
きちんと自分の頭で考えて物事の良し悪しを判断し、
当時稀であった知識と教養を身につける機会を決して逃さず、
また自分が手にしたもの全てを最大限に有効活用する術を実行しつつも、
自らの道をしっかり歩んでいた女性の生き方を読んで、
久しぶりに魂が震えるほどの感銘を受けました。



# by japolska | 2017-08-04 10:27 | Wonderful Books